いきつら

生き辛い

メンヘラとお気持ち病院

今日、3年通った精神科と決別した。

 

私は中学生の頃から精神科に通いだしたが、とんといい思い出がない。

 

ハイハイ、大袈裟な厨二病ね、的にいつも軽く扱われていた。

 

今通っていた精神科は、担当がかなり高齢のおじいちゃんで、1段上のステージの人間という感じだった。

 

とはいえ最初は診察時「特に変わりありません」botをしていたが、2年ほど通い続けて、少し信頼してもいいかなと思いだし色々話すようになった。

 

先生もそれに応えてくれて、とてもいい関係を築けていたと思う。

 

先日、とある依存癖に初めて打ち明け、とても心配して貰った。

 

ただその後も自分を傷つけ続けそれを辞めない私をとても心配した先生は、どうして辞められないの、と優しい口調だが何度も何度も私に問いかけた。

 

私のせいだと、私の努力が足りないんだと言われてるように思えてしまって、本当に辛かった。

 

なんで続けてしまうのか自分でも分からないと言ってるのに、私も止めたいって言ってるのに。

 

 

そしてここが私の気持ち悪い所なんだけど、私は心を閉ざした合図として、姿勢はシャキッとなり、目線を合わせるようになり、笑顔になる。

(普段は目線も合わせないし診療中は常に項垂れている)

そして何を言われても笑顔で大丈夫です!!と答える!

 

先生は責めてごめんねと謝ってくれたが、もうどうでも良かった。

 

私に取って視線を合わすということは威嚇の意味もあるんだなあなんて思いながら、帰るまで気持ち悪い行動を止められなかった。

 

何故傷付いたと伝えて、もう一度チャレンジすることができないんだろう。

 

かと言って態度に出さずにいることも出来ず、気持ち悪い言外コミュニケーションスキルばかり増えていく。

(スキルではない)

 

 

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今日これを呟いたばかりだが、見事にブーメランが刺さってしまった。

信頼をこんな貧相な解釈しか出来ないのは、自身がそうだからだ。

 

自分の思い通りにならないと、先生を信じて話したのに裏切られた と思ってしまう。

 

 

本当は先生も私も悪くない。

 

すれ違いは必ず避けられないもので、いかにそれを健康的に伝えお互い歩み寄るのかが社会における正しいコミュニケーションなんだと思う。

 

 

今読んでいる本で、西洋と東洋の哲学の違いとして、西洋は理屈を理解した=習得したとなるが東洋は身に染みた確信がないと頭で理解していても習得したとはならないと読んだ。

 

私は診察でも、ブログでも、Twitterでも

『本当は分かってるんですよ できないだけなんですよ』と言い続けている。

分かってても出来ないんじゃ分かってないのとおなじだなあ。